Dance short film “Lumiere” is now on YouTube☆

See the film on YouTube

Direction/choreography: Tetsuko Kitayama Hamaguchi

Dance/dramaturge: Shinobu Sakaguchi

Camera: Hiroki Nakatani

Site: Bliss Ballet Studio

Costume: nui-kobo

Inspired by a historical ballet by Fokin “Dying Swan”, using the same music and the story line of the classical ballet, this short dance piece reveals life of a flower from its birth to death and reincarnation.
Some say you see your own life like a fast forwarded film at the end. I wonder if this is any resemblance to watching over a scenery of a calm pond as a swan swims by thinking how the world and Life is full of light.


Choreography used in the film is permitted to be used in live performances.  

If you wish to do so, please contact me.  I can send a non-edited video so that you can learn the choreography more easily.  

For the use, you have to give accurate credits which will be informed when contacted.


Below is a mail I sent to Shinobu and Hiroki before the shooting.  I attatch it here as a memoir.

Creation of the film “Lumiere” took upon long-distance rehearsals via exchanges of video mails and live rehearsals using Skype showed on the left image.  A several face to face rehearsal in Tokyo were necessary in addition.  The creation lasted over a year.

中谷先生、しのぶちゃん

先日はありがとうございました。先日のリハーサルで頂いたインスピレーションで映像作品としての作品像が少し見えてきた感があります。とりあえずまとめてみましたのでよろしければ読んでみてください。

①視点、について。
作品には二つの視点があります。
A 「花」の視点。主観。
B 「神」や「大きなもの」 の客観。

死後、花のつぶやき:「人生色々あったけど、終わってあの世から我が人生を思い返してみたら、人生なかなかに美しいものだったわ。生きている間には気づきづらかったけれど、人生なかなか、光で満ちていたみたい」
それをきいている神様:(微笑みながら、そうだろうそうだろう、と頷いている)
もちろんこの会話は例えですが、作品の中で視点A と視点B の両方が出てきます。生きている間に生きている者本人が視点Bを継続的に持つことは難しいとはいえ、視点Bの中にもちょこちょこと視点Bも出てきます。両方が真実であり、側面。しかし、視点が変化するだけで世界はまったく別に映ります。簡単にいえば視点Aは影が多く、視点Bは光が多い。
②中谷先生がポロっとおっしゃられた「ニートや引きこもり」という言葉から~
Life of a flower という仮題で、一輪の花の一生を追う作品ですが、同時に誕生前と誕生後と生きている間のストーリーという側面もあります。そこで仮に、「生きている間」を体という容れ物に閉鎖された「不自由さ」「固定されている苦しさ」「肉体によって他と自己を隔てられていることからの孤立」を体験しやすい時期とします。逆に誕生前と死後の時期を「自由」「光」「全てが一体である」期間とします。スタジオは、作品の中で花や身体など、この世に生きる生命の形や容れ物の役割を担います。外と中、他者と自己、の象徴においてスタジオは中であり、自己。

シーン別に考えてみました、、、
1. タイトルが流れている間、、、光が多い外の映像。屋外の賑やかな音。視点B
2. 一転して、コントラストが強い映像で、カメラはスタジオ。広いスタジオに1人のダンサー。小さな窓から漏れて入る屋外の賑やかな音の気配。魂が肉体(スタジオ)に入ることで、外の広い世界を小さな限られた穴からしか見聞きしない状態に急変する(スタジオという抽象においてはこれは窓だったりするし、肉体に受肉するという意味においては目、鼻、耳などの穴からのみ外界を感知する状態に急変する、という、、、分かりにくくてすみません、、、これは自分が17の時に体験した臨死体験に近い状態がイメージの原型です)という感覚(この世に入る、ということを表したいと思っています)視点A
3. カメラがダンサーによっていく。本編の始まり。コントラストが強く、影も多い映像の中にも花の蕾が徐々に開き光を自身に光を取り込む様子を描いていく。A
4. 開花していく様は、下から上を仰ぎ見るようなアングルも入れるなどして、花にとっての思春期の「期待と希望」、自身から放出される香りや性を表していく。A
5. 次の風のシーンは苦悩のシーン。今ある振り付けともうひとつ感情を表す舞踏やコンテンポラリー寄りな振り付けも作りますので、ふたつの振りが交錯するような編集をしいうかと思いました。ここは作品の中で一番、光が少ないシーンです。A
6. 嵐のシーン。葛藤を超えて、大きな流れに身を委ねる感じを出したいため、前のシーンの交錯していたダンスを再びひとつにまとめていく。光は徐々に増えているだろうけれど、まだマックスではない、AにBが入ってくる
7. 「運命」のスポットライトに入っていくシーン。このスポットライトに入ってからは喜びの連続であり、光に満ちていく。種の飛散が終わるまでこの喜びは続く。B
8. 枯れていくシーン。マックスの光から徐々に褪せていく。でも、ゆっくりとゆっくりと。幸せの思い出を脳に残しながら。BにAが少しずつ入ってくる。
9. デベロッペのシーンは直前に強い光を一瞬入れ、あとは再び暗い中で行うのはどうでしょう。
10. 最後の最後、死、消えていくシーンでは、ドアの向こうが光に満ちていて、ドアを開けて光に入っていく、のはどうでしょうか、、、くさすぎ?
11. 最後光の中で外界の新鮮な音に包まれる
12. そのままエンディングロール
視点Aは寄りのアングル、視点Bは引きの広いアングルかなあ、、、と思いますがいかがでしょうか。

まとめ
以前感銘を受けたピーター ブルック演出、ベケット原作の「しあわせな日々」という演劇作品があるのですがご存知でしょうか。一言で説明すると、まったく変わらない繰り返しのセリフ、繰り返しの日々が、ある小さな小さな状況の変化によって一変する。同じセリフがまったく 別の意味を持つ、世界に対する主人公の視点が180度変化するというものです。主人公の視点の変化を観客が共感します。これを、ピーターブルックは天才的な、この上なくシンプルな演出で成し遂げます。主人公の語り方にも、明らかな変化をもたせることなく、照明の変化も、舞台美術の転換も、何もなしでこの180度変換をやり遂げる、、、

今回の作品の中で、世界に対する視点の多様性、つまりは主観と客観が表現できたら、、、。白鳥の曲が持つように、静かな湖水の表面を音もなく一羽の白鳥が泳いでいる、という極めて平穏な情景、音楽が最終的にもたらす印象。と同時に音楽のメロディが表すドラマ。このドラマは、今回の作品においては、人生の中で起こる様々なことと感情。この二つの側面、視点は同じ真実のふたつの側面であり、両方、存在してる。生まれる前と後では肉体という物理的な引きがないために単に光で持ちているという視点Bのみ。でも、生きている間はふたつの視点が交錯する。

そんな「現実」の捉え方の例を表したかったのだなあと改めて思っています。

うまく伝えられていたらいいなあ、、、。

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